こんな子どもが欲しかった

数年前だったでしょうか、イチロー選手が当時日本人として初めて年棒5億円を超えた時、街頭インタビューであるご婦人が「あ〜こんな息子が欲しかった」としみじみ答えていました。

言われた息子さんは気分悪いでしょうが、私自身親の本音を垣間見たようで、とてもおかしかった記憶があります。

青木悦さん(教育関係のジャーナリスト)の本の中に「幻の子ども像」(東本願寺『子どもたちのいるところ』)というお話が載っているのですが、子育て真っ最中のお母さん方が集まって、日ごろの子どもに対して愚痴を集め、いったいどういう子どもならいいのか、どういう子どもならやさしい自分でいられるのか、それを集めたお話なのだそうです。

例えば朝起こしてもパッと起きない、起きてもボーとしていて動き出すまでに時間がかかる、という子どもさんなら一体どういう子どもならいいかといえば

「朝は起こされる前にさわやかに飛び起きる子」

になります。それでいいかというとまだあって、身支度が遅い子がいますが、すると

「自分で用意した清潔な衣服を順番間違えなくすみやかに身につけて」

となるのだそうです。そういう形でとにかく無意識に抱いている理想の子ども像を全部あげていくと

「朝から生野菜でも何でも好き嫌いなくもりもり食べて」

「自分の食べたお茶碗は自分で台所に運び『行ってきます』と元気よく飛び出して」

「近所の人に出会ったら、向こうから挨拶をされる前に『おはようございます』とさわやかに挨拶をして」

「学校に行ったら体調の良い日も悪い日も常に積極的にハキハキと」

「全教科まんべんなく関心を持ち、友達には優しく」

「しかも校庭のすみっこに咲く小さな花にも感動する心を持って」

最後は「テレビを見ないで早く寝る」のだそうです。

子どもと毎日格闘しているからついつい要求してしまうのですが、しかし指摘どおり、思っていることは無茶な話で、漫画みたいなことなのでしょう。

本の中では、みんなで「こんな子どもいる?」というのに対して「いるわけないよ。こんなの子どもじゃないよ」という結論になったそうです。

しかし青木さんいわく、親の視線を先取りして一生懸命いい子どもになろうとしている子どもさんがいるそうです。

ここまでいくと、本当に笑い事では済まされません。私たち親はよくよく自分を見つめないといけません。

わしもそうや

ある小松の福祉施設に行ったときのことです。

ボランティアで『正信偈』を教えていると、年配の女性が終わったら話を聞いてくれないかと私の袖を引っ張るのです。

自分のような若い!?人間に衣を着ているだけで話を聞いてほしいと思うことは、よっぽど思いが詰まっているに違いありません。

で、案の定その女性は、今まで自分がどう生きてきたのか、どういう思いをしてきたのかを私に訴えてきました。

そして、「耐えられない・・・・」と。今の自分に耐えられないというのです。

年をとり身体が衰える自分が引き受けられないとこぼされるのです。

私はどう受け止めればいいのかということを思い巡らしながら「その問題はあなただけの問題でない」ということを話しました。

というのは、私自身もそうですが、病気や思わぬことに出会って現実が引き受けられずに悩んでいる人がたくさんいるからです。

その意味であなただけでないんだと言いました

それに対してしばらく考えていたようでしたが、突然たまたま近くでずっと私たちの話を聞いていた男性に「あんたもそうか」と尋ねるのです。

するとその男性は間髪いれずに「わしもそうや、わしもそうや」と言われたのです。

それを聞いたその女性は今まで暗い顔をしていたのが、パッと明るくなったのです。
まるで、花が開く瞬間を見た思いでした。

人は悩んでいるとき自分だけが重い荷物を背負っているように思いがちですが、少なくとも「わしもそうや」という男性の一言で、私はその女性が現実を少し引き受けられたように見えました。

話が終わったあと、職員にあの男性のことを伺うと「あの爺ちゃん、痴呆気味で人の後ついていくんや」と・・・・・。

でもあの人の「わしもそうや」という一言がなければ、決して顔が変わる瞬間を見ることができなかったですし、あの言葉は仏さまの言葉だったと今でも思っています。

救い

喫茶こころのマスターからこんな話を聞きました。

知的障害を持つ子どもさんを授かったご夫婦の話ですが、そのご夫婦は障害を持っているとわかってから、今までいろんなことを悩み、夫婦で何度となく話しあってきたそうです。

確かに順番からいけば、最後まで子どもの面倒を見れるはずもなく「この子はこれからどうなっていくのだろう。どう生きていくのだろう」と考えずにはおれないでしょう。

もしかしたら、心配するあまり悪い方向も頭をよぎったかもしれません。

でもこの前喫茶店にご夫婦で来られたとき「もしかしたらこの子がいたから、私たち夫婦が夫婦でいられたのかもしれない。この子のおかげで夫婦の絆が深まったのかもしれない」と思われたのだそうです。

そう思えたご夫婦は、長い間格闘してきた時間も、大切な時間として受け止められたでしょうし、子どももなくてはならない本当に尊い存在としていただけたのではないでしょうか。

救いというと、困った問題が困らなくなったり、邪魔なものがなくなったりすることだと考えがちですが、本当の救いとは、このご夫婦のように苦しみや悲しみに「意味」を見い出せることだと思うのです。

言葉が生まれるとき

人のこころを動かすような言葉が生まれるとき、その背景には悲しみや苦しみなど、どちらかというとマイナスの側面が大きいのではないか、そんなことを思うのです。

例えば明治の清沢満之は奥さんや子供さんを亡くし、自身も当時の不治の病・結核を患い、その他にもろもろの問題を抱えた中で生きていました。

晩年の日記・臘扇記(ろうせんき)は苦悶に絶えがたい状況が底に流れていたのでしょう。そんな中で深くて魂を揺さぶるような言葉が生まれてきたのです。

星野富弘さんだって相田みつをさんだって、それぞれの厳しい境遇が言葉を生み出し、多くの人を感動させるのではないでしょうか。

しかし、つらい事実に遇ったからといって、必ずしもそうなるとも限らないのも現実です

例えば病気になったとしても、やけになってしまい、人生を台無しにしてしまうこともあるからです。しかし逆に病気で目覚める人もいるのです。

その意味では境遇が人を育てるけれども、そのことを無駄にするかしないかは本人次第なのでしょう。

少なくとも人を感動させる言葉は現実を避けるところからは生まれてこないような気がします

日本昔話

日本昔ばなしって、いつも「むかし むかし」で始まって「めでたし めでたし」で終わりますよね。
しかもいつもいい人が出てきて、悪い人が出てきます。いい人の話だけで終わればいいのに、悪い人も出てきて必ず悪い目に遭うんですよね?

なぜでしょう???子どもに何回も読んでいるうちに疑問がわいてきました。

何の根拠もないんですが、もしかしたら「めでたし めでたし」と言えない時代状況が長い間あったからじゃないかと思っています。

つまり、実際はいい人がいい目にあえず、悪い人がいい目にあってたんじゃないかと思うのです。

例えば、時代によってはせっかく耕してた農地を勝手に武士が戦争を始めてムチャクチャにしたり、仲間が殺されたり、また身分制度で一部の人がいい思いをし、ほとんどの人が苦しい思いを持ったりして、多くの人は時代に疑問を持っていたのではないでしょうか。

そのことが民衆に「めでたしめでたし」の物語を共感させ、口伝えの話になっていったように思うのです。もしかしたら今で言えば水戸黄門を見るような感覚なのかもしれません。

とにかく「めでたし めでたし」の裏側に人々の悲しみがあるように思えたのです。

現実を抱えながら

突然お寺にひとりの女性がお参りをしてほしいと来られました。

今から49年前に病気で亡くされた子供さんのお参りでした。

今でも法名を大事そうに取り出した姿が今でもまぶたに焼き付いているのですが、その法名を見ると毎日お参りしていた様子が伺えました。

お勤めの後、少しお話しをしたのですが、今でも亡くなった時のことを夢に見るそうです。
そのとき私は50年近くたっても忘れられない現実を抱えて生きている人はいるのだなぁと実感したことでした。

また数日前に同じように子供さんを亡くされた法事で、奥さんが

「今でも子どものことを抱えながら生きています。しかし子供を亡くしたことで本当にいろんなことを学びました」

と涙ながらにおっしゃておられました

人は割り切れない思いを持ちつつ生きるということは、しんどいことですし決して楽なことではありません。

しかし、その思いがあるからこそ、人間が深められいくのも事実ではないでしょうか。

[いのちの根]
なみだをこらえて かなしみにたえるとき
ぐちをいわずに くるしみにたえるとき

いいわけをしないで だまって批判にたえるとき
いかりをおさえて じっと屈辱にたえるとき

あなたの眼が色がふかくなり
いのちの根がふかくなる

               相田みつを
この詩好きだなぁ〜

ハンセン病問題

縁あって、私は3年程前から本山(京都・東本願寺)のハンセン病に関する懇談会の委員をしています。

この会は全国のそれぞれの地域から、ハンセン病の問題についてどう取り組むかを話し合い、行動に移すのですが、

それぞれ分担のなかで、私は教団内の機関紙「真宗」を担当しています。

この仕事は回復者の方の原稿を整理したり、取材に行ってその思いを聞いたりして、掲載するのですが、

私にとって非常に恵まれた仕事だったと思っています。

というのは右も左もわからなかった者が、取材を通して人間の叫びというか、

うめきのような声にならない声を感じさせていただいたからです。

でも当初、回復者の方の声を聞くたびに自分の中で重いものを感じていました。

つまり、どうしたらいいのかまったく分からなかったのです。

しかし先般、教区で同和協議会の方と話す機会に恵まれて、「この問題をどう受け止めるか一緒に考えよう」

と言ってくれたことがとてもうれしくありがたい気持ちでいっぱいになりました。

いま、多くの方の声を聞かして頂いて思うことは、やはり私たちひとりひとりの在り方が問われていると思うのです。

それは単に考えを改めるというものではなく、二度と過ちを繰り返さない私たちになって欲しいと願われているように思います。

それを仲間たちと一緒に考えていきたいと思っています

インターネット

今日でこのホームページが丸一年を迎えました。

思えば、昨年初めてパソコンを手にし、いろんな人にご指導を頂きながらここまでやることができました。

お世話になった皆様、本当にありがとうございました。

実をいうとそれまで、僕自身はパソコンとかを問題視してたんですよね。

というのは、現在人間関係の希薄さが指摘されてますけど、その問題に拍車をかけているひとつだと考えていたからです。

でもその僕がインターネットをやってみようと思ったのは、

近所の引きこもりだった子に立ち直ったきっかけを教えてもらってからです。

その子はインターネットで見ず知らぬ人と、気持ちを通わせ自分を見つめ直した、というのです。

そして「このままではいけない」と思い今日に至っていると話してくれました。

考えてみれば、知らない人だから話せないのではなく、赤の他人だからこそ話せることがあるのではないでしょうか。

それをインターネットは可能にしてくれるんですね。

また恵まれたことに、そういう志を持った人が周りにいたことで、

この勝光寺のホームページがホームページとして成り立っていると思っています。

仲間たちに限らず、ゲストの皆さんともインターネットだからできることをしていきたいし、通じ合いたいと思っています。

これからもよろしくお願いします。

アンパンマン

3歳の息子の影響でアンパンマンを見るようになったのですが、なかなかおもしろいアニメです。

相手がどんな武器を持ってこようとも素手で戦い、決して殺したりはしない正義の味方なのです。

しかも彼は困っている人、お腹がすいている人にパンでできている自分の一部を分けて助けるのです。

とても優しくて強いヒーローなのですが、相手のバイキンマンやドキンちゃんというキャラクターも人間味があっておもしろいのです。

いつも悪さばかりしているバイキンマンもたまに人情にほだされてしぶしぶいい奴になったり、ドキンちゃんのわがままにいつも振り回され泣かされたりしています。

ドキンちゃんはドキンちゃんで好きな男の子が現れると「いやだーこんなカッコ○○様には見せられなーい!」とか、負けそうになると「私用事があるから帰るね」とか言って逃げていったりするのです。

それぞれのキャラクター(数百種類)が生き生きと描かれていて、見るものをあきさせません。

「駕籠に乗る人担ぐ人 そのまた草鞋を作る人」のことわざのように、つながりの中で、その人でないとできないことがいっぱい描かれているように思います。

主題歌の歌詞に「何のために生まれて、何のために生きるのか 分からないまま終わるそんなのはいやだ」というドキッとするような文句がありますが、これらのキャラクターのように、子どもたちも子どもたちの歩みをしてほしいですし、私自身も私の証(あかし)を立てていきたいと思っています。


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