決断を褒める

小松で長年子育てに関する相談所を無料で開設している先生がおられるのですが、その先生が悩みを抱え尋ねてきたお母さん方に「よく来られましたね」と、まずこの場に来たことを褒めるという話を聞きました。

相談に来られるというのは、自分の悩みを打ち明けるということであり、とても勇気のいることだろうと思うのです。

その勇気を出して、足を運んだ事実を褒めるというのですが、僕はとても大事なことを言われていると思うのです。

相談者の中には少し聞いて欲しいという内容から、厳しい現実に押しつぶされそうになって来訪する方もいると思うのですが、実際問題として解決は複雑に絡み合って難しいことが多いのではないでしょうか。

そういう中で大切なのは、問題と向かい合う「勇気と決断」だと思うのです。

善導大師の「二河譬」で、旅人が道を求め歩んでいるのですが、八方塞になって行き詰まってしまいます。しかしその中で勇気を持って決断し歩もうとした時に「発遣と召喚」という釈迦弥陀の呼び声を聞くと説かれています。

私自身いままでこの部分を、迷っている時に何らかの答えとなるようなアドバイスをもらって、白道を歩むと領解してきましたがそうではありませんでした。

落ちてもいいこの道で間違いないと自身で決断した時に初めて声が聞こえると書かれているのです。
つまりその「決断と勇気」に対して褒め、間違いないと後押ししてくださるのが「発遣と召喚」なのです。

そう思うと色んな事情を抱えて相談所やお寺に来られるというのは、まさに問題と向き合おうとする決断の表われであり、そこにこそ道があるのでしょう。

三定死(さんじょうし)は事実でない

「二河譬(にがひ)」の中に「三定死(さんじょうし)」が出てくるのですが、ひとつの行き詰まりを表している喩えがあります。

もともとこの話は旅人が西に向かって歩く所から始まるのですが、西に向かうというのは「自分自身と真向かいになる」「自分の生き方を探し始める」ことを意味します。

そして歩み始めると「火の河・水の河(煩悩)」と旅人を殺しに来る「群賊悪獣」と「白道(びゃくどう)」が出てきます。

そしてまたしばらく歩むと旅人は追い詰められて「三定死」という切羽詰った状況になるわけです。つまり元に引き返しても悪獣に殺されるし、この場に留まってもそのうち悪獣にやられるし、かといって幅四五寸の白道を渡ろうとすれば河に落ちてしまうというのです。

結果的に旅人は意を決して白道を歩むわけですが、よくよく考えてみればこの「三定死」は事実ではないということを感ずるのです。

一般的に「八方塞がり」といいますが、仏法に照らせば事実は塞がってはいないと教えられるのです。あれも立てようこれも立てようと自分を立てるから行き詰るのです。つまり自分の思いに縛られているだけのことであって、必ずやそこに道があるのです。

実はこの作者は二河(火の河水の河)と群賊悪獣を自分であると解説しています。つまり自身の見方受け止めから方から経験、実績などが邪魔をしてこの話の場合求道心を妨げるのです。

しかしその中で勇気を持って一歩を踏み出した時、一人ではなく「発遣と召喚」というずっと念じられていた自分であることをこの物語は教えてくれています。

求道者たれともに求道者たらん

「求道者たれ共に求道者たらん」というのは真宗大谷派(京都東本願寺)の教師資格を取得する時に、修練という研修を受けなければなりませんが、その道場のテーマになります。

「求道者たれ」というのは、道を求めてきた先達の願いであり、道場からの呼びかけを表すのですが、当初は何を言っているのか分からなかったです。

仏教の教えを聞いてそして少し生きることにまじめになったものが道を求め始める(求道)と思っていましたが、そうではないようです。

本人も気が付かないところで実は道を探していて、それが何かわからず目先の物に執着してしまっていた私たちを言い当てた言葉なのです。

『往生要集』のたとえ話に「幼い頃捨て子で本人は意識はないけれどその傷が深く染みわたっていて、その怨のためにいつか貴重な人生をご馳走と侍女数百人はべらせて幻の楽しみで一生過ごす」というたとえ話がありましたが、きっと本人は生き方を深く探しているのでしょうが、その思いに気が付かずに目先の物を追い求めて一生を費やしてしまうというのです。その全体を「幻」だと仏教は指摘するのです。
その意味で「求道者たれ」というのは「目覚めなさい」「本来の自分に帰りなさい」という促しでもあるのです。

精神的自立

W先生のお話です。W先生はカウンセリングの先生でもあり、多くの年配の方の相談ものっておられるようです。

その先生が「現代は長寿という人間の理想を享受している時代ですが、平均寿命が10年から15年延びたことによって何が起きているか」ということを仰るのです。

ある女性が老後のためにと「切り絵」を始めたそうです。だんだん上達し、プロに近い腕前になりました。

しかしある時を境にして、少しづつうまくできなくなったそうです。
最初は疲れているからとか思ったようですが、そうではなく、年齢で細かい作業についてけなくなってきたのです。
本人はある程度の腕前を持っていますので、自分ができなくなることを特に情けなく感じていたようで、結果的に「切り絵」を投げ出してしまったというのです。

で、W先生は「老後の本当の問題はできていたものができなくなった後、どう生きるかということだ」と言われるのです。

寿命が延びたことで何もできなくなって悲しみ嘆いている人がいかに多いかと言うのです。しかも年配の方は長生きされることにあまり期待をされないというのです。
つまり、何か起きても「年寄りだから仕方がない」と諦められるからだそうです。

その意味でこれから自分の中で生きる価値を確立するということが大事であると言われていました。

このようにW先生の提起された問題は実存の問題で、「老」ということによって自分が自分でいられなくなるということを提起されたものです。そう思うと「老」だけの問題に限らず、人間関係や思わぬ出来事で悩んだり苦しんだりというのも、自分が自分でいられなくなるから苦しむのです。

ある意味、自分にとっていいときだけではなくいつでもどんな時でも自分が自分でいられる道(精神的自立)を模索すること(求道)は今日の時代において大事だと言えるのではないでしょうか

まぁ僕自身幼少のころから中耳炎によって鼓膜が破れ片方の耳が聞こえない状態ですが、そのことがこれらの問題を他人事と思えない感覚をもらったと思っています。

今月のことば

ありのままに生きるということは簡単そうでむずかしい
   でも本当に大切なことである
          −HP今月のことばより−


ハンセン病の国賠訴訟の裁判をご存知でしょうか?

国の「らい予防法(廃案)」が多くの人権侵害を生み出し、間違っていた法律であったかを白日のもとにさらす裁判です。

その裁判の過程で原告の皆さんが当時心の奥底に封印していた自分の本当の気持ちを語られました。

「家族から捨てられた」

「堕胎させられた」

「無菌なのに強制的に入れられた」

「大好きだった人から裏切られた」

「家族はその場所にいられなくなった」

みんなそれぞれの思いを、言葉を確かめるように語られ、らい予防法は間違いであったと主張し、闘われたのです。

本当のことを言うことはとてもエネルギーが要ることで、できれば静かに生涯を閉じたいということも、本音であり、選択肢の一つであったと思います。

しかし「私たちのような人間を二度と作らせない」「人間として生きたい」という思いが、立ち上がらせ語らせたのです

その回復者の皆さんの堂々と語られた姿は、私自身にも深く刻まれましたし、ありのままに生きることが難しい時代という視点からも、多くの人に影響を与えるものであったと思っています。


土徳

土徳(どとく)」って言葉を知っていますか?

もともと金子大栄師の造語らしいのですが、その土地に備わった徳のことで、そこに住んでいると、知らず知らずに徳を身についているという意味です。

確か5年ほど前にドキュメンタリー映画で「土徳」というのがありましたが、そのテーマそのものの映画でした。

ここ小松も昔から土徳のある場所と言われてきたのですが、近年は時代の流れの中で失われている感じがします。

ところが先日60代を越えた男性がお寺に尋ねてきて、ご本尊を新しくしたいというのです。
2年前から仕事を辞められてお参りするようになって、「ご本尊の傷みが気になりだしたので」と仰るのです。

その方はそれまであまりお参りをされたわけはないと思うのですが、しかし、お参りをするようになって、傷みが目に付くようになって気になりだしたのです。
それまで多少古くなっても気づかなかった方が、代えようという決断し、わざわざ自らお寺まで来られたというのは、ある意味稀有な心が起きたと言えるのではないでしょうか。

思えば知らず知らずお参りをされていたというのも、本人も気づかない深い所で自分を探し始めたということだと思うのです。
それが伝統の上ではお内佛(おないぶつ・仏壇)におまいりをするという行為になったのではないでしょうか。
ここは加賀地方はよくお参りをしただけでなく、自分の人生を仏教に尋ねてきた歴史を持っています。それが知らず知らずに身についたのかもしれません。
きっとこれから、先祖の方が歩まれたようにその方もまた、自分と真向かいになって歩んでいかれるのではないかと思っています。

今月のことば

種も蒔かないで結果だけを求めるな
お互い今の自分から歩みだそう

          −HP今月のことばより−


ある友人のお話です。

その友人は、以前に星野富弘さんの個展を観て「多くの支援者がいたからこんな事ができたのだ」と思っていたそうです。
しかしある人から「それは違う。本人がしたいと願ったから実現できたのだ」と言われ、深く考えさせられたそうです。
考えてみれば最初から支援者なんているはずもありません。
本人が歩みだしたから周りの人が応援しようという思いになって実現できたのではないでしょうか。

で、友人はその一言を聞いて障害者の施設を出たのですが、現在、縁あって結婚をし子どもを授かっています。
もし結果だけを見ていたら、今頃施設でいろんな言い訳をしながら愚痴っているのではないでしょうか。

思えば、僕自身も長い間結果だけをみてうらやましがったり、できない理由を山ほど並べて自分に言い訳をしていました。
しかし何にも変わりませんでした。
つたないけれども、傷つくかもしれないけれどもありのままの自分から一歩歩み始めることが大切ではないでしょうか。

伝わって初めて成り立つ

テレビで人気の女性占い師の番組を見たことがありますか?

僕はあまり魅力を感じないので見ませんが、たまたま見た時、人気の理由がすこしわかったような気がしました。

もちろん本人のキャラクターが個性的で独特で面白いということが先ずあると思います。またそれを盛り上げる有名なタレントさんもいることも番組を面白くさせているのでしょう。

しかしそれだけではないと僕は思うのです。

人生訓などハッキリと人に意見をする番組ですが、もしどんなに正しいことを言っても、誰も聞いてもらえなかったり、無視されたりしていたら番組的には成立しないと思うのです。

僕が見たとき、最初化粧をした高校生が平気で反社会的なことを口にしていたのですが、説教されてそのうちに涙を流したり、頷いたりして、改心している場面を映し出していました。いわゆる演出をしていたのですが、聞くはずのない人たちに伝わっているところに番組の面白さがあると思うのです。

もっと言えば、たとえ間違った言葉でも、それを聞いて感動した人たちを設定する所にポイントがあると思うのです。

考えてみればドラマでも映画でも、相手に伝わったような演出があって初めて面白いのです。クライマックスで勇気ある行動を見て涙を流すからいいのであって、伝わらなかったら単なるひとりよがりでしょう(笑)

そう思うと「愛」「正義」「友情」という言葉は人間関係の上で成立する概念であることを改めて思うのです。伝わらなければ愛でも友情でもなく独善ではないでしょうか。

・・・お互い気をつけましょうね(^_^;)

今月のことば

「自分が可愛い」という思いを棄てない限り
     自分を変えることはできない
        ー今月のことばからー

 
 私自身、生活の中で判断に迷ったり躊躇したりするときは、生活が脅かされる時であったり、人から悪く思われそうな時とか嫌な思いをしそうな時です。
言い換えれば「保身」ということですが、それがいつも判断を鈍らせているように思います。

それは私だけではなく、政治家で公約通りできなかったり、自分の意見が言えなくて党に従ったりするのを見聞しますが、多くに人がこの保身なのです。

ある先生が市民運動に参加をしていたときに、門徒さんから「そんな運動を続けているのなら手次を変わる(門徒を辞める)」と言われて、(生活基盤がなくなることを恐れて)自分の信念が揺れたことを正直にお話してくださったことがありました。

この保身、つまり自分が可愛いという気持ちが、いつも私だけでなくいろんな人を悩ませます。

しかし結論から言えば、一歩踏み出してしまえばいいのです。
踏み出せば、必ず違う世界が広がります。

老人ホームから

70代80代の歎異抄の会をしている仲間の1人ですが、昨年秋に1人暮らしということもあって自ら進んで老人ホームに入られました。

その人からいろんな話を聞かせていただくのですが、先日は「偉い人や威張っている人は早く呆ける」と感じたそうです。

というのも施設の中ではいろんな行事やらレクリェーションなどをするのですが、偉い人はなかなか輪に入ってこないというのです。

ある人は校長先生経験者で誘っても「そんなくだらないことはできん」と断るのだそうです。

すると施設という所は何にもしなくても考えなくても一日が過ぎるので、する気がなくても食事は口の中まで運んでくれるし、ましてや「今日の食事は何にしよう」などと考えなくてもいいわけです。

したがって自分の世界だけでいるから刺激がないのでしょう。一年もすると廃人のようになるのだそうです・・・・特に至れり尽くせりの施設では。

自分の世界に執着すると・・・・なんか考えさせられますね


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