今の自分には理由がある

喫茶こころでこんな話を聞きました

ある保育園であまりしゃべらない子どもがいたそうです。

好きなのか嫌いなのかいいのか悪いのか意思表示をあまりしない子なので先生もどうしてかなぁと思っていたところ、家庭訪問を実施したときにその理由がわかったそうです

その家は父方のおばあちゃんと母方のおばあちゃんが競うように世話していたのだそうです。

例えば子どもがお腹が減ったから欲しいという前に食べ物を出したり、飲み物を出したり、おもちゃを買え与えたり・・・・つまりすべてを先取りしていたのですね。

子どもがしたいと思う前にすべてのもを用意していたから、意思表示しなくてもよかったのです。言い換えれば、孫を思うあまり知らず知らず言葉にする機会を奪っていたともいえるでしょう。

このように良し悪しの判断はさておき、それぞれお互い今の自分ですが、それには必ず理由があるということを思うのです。

例えば口数の少ない人は今までその自分で問題がなかったからで、しゃべることが必要な人は自然と身についているのではないでしょうか。

生活の中で、むなしいさびしい、人に会うのがいやだ、自分を出せない、現実が引き受けられないなどなど、それぞれの自分にも理由があると思うのです。

問題はその理由を尋ねていくということが大切なことではないかと思うのです。

そのプロセスの中で時間がかかるかもしれませんが自分が見えるということが始まるのではないでしょうか。

あるご夫婦の話です。

今から10年前に奥さんは脳卒中で倒れ、右半身と運動性失語症(言語理解は可能であるが、自発的に言語を表現し得ないもの)になられました。

倒れられて3年の間、奥さんは相手に気持ちが伝わらず、感情的になる毎日だったそうです。

「相手に伝わらないってこんな苦しいことだったのか」と仰っておられました。

またご主人はご主人で、きっと奥さんとの格闘で毎日イライラしておられたことでしょう。

しかし10年たった今、お互い壁を乗り越え仲むつまじいお二人になっていました。

「家内の言うことは大抵分かる」と言われたそばで、うれしそうに微笑む奥さんの顔がとても印象的でした。

確かに病気は悲しい出来事には違いありませんが、そのことがあったからこそ、他の夫婦にはない絆の深さを感じたことでした。

また私自身、言語を持ちながら果たしてどこまで通じ合えているのか?と問われた時間(とき)でもありました。

春が憎い

先月のことです。

久しぶりに長期入院している友だちの所に見舞いに行きました。

思ったよりも元気に過ごしていていましたが、しかし現在もなかなか身体が思うようにならないそんな状態です。

会話が途切れ、ふと窓を見ると雪解けで春がそこまでやってくるのを病院でも実感できました。
「もう春だね」というと、しばらくして友人が「春が憎い」とポツリ漏らしました。

思わず友人の顔を見てしまったのですが、友人は窓をずっと見ていました。

この季節は大地も草木も厳冬に耐えぬいて、今から生きようとする、まさにいのちの息吹が感じられる時なのです。

だから「憎い」といった友だちの言葉が私の胸に突き刺さってきました。

春といっても友人と同じような思いをする人はたくさんいるのだということを教えてもらった一言でした

恨みを越える時

先般NHKで沖縄の歌手・新垣勉さんのことが放映されていました。

その新垣さんは今日まで波乱万丈の人生を歩んできました.

というのはお父さんが基地に勤めるアメリカ人でお母さんが沖縄の人というお二人の間に生まれたのですが、縁あって二人から見捨てられることになったのです。

新垣さんはそのことを深く恨み、いつかアメリカに行って父を殺してやりたいとずっと思い続けていました。

また、生まれながらにして視覚障害を持っていたこと、そして混血ということ、いろんなことが彼を苦しめていたようです。

その中で彼を変えたのが、イタリア人のバランドーニというボイストレーニングの世界的な先生との出遇いでした。

新垣さんの声を聞き、「この声は日本人離れした声だ。日本人にはない、何か明るいラテン的な匂いのする。どうしてこういう声が出るんですか」

その時にいままでアメリカに行って殺してやりたいと思っていたお父さんのことを話をしたのです。

するとその先生が新垣さんに言ったのです。「この声は神様から与えられた楽器だ、だからこれはしっかりみがいて用いなさい」と。

その時にあれほど恨んでいた父親のことを初めて許せるようになったというのです。

つまり、今まで自分であることに誇りをもてなかった新垣さんが初めて自分を受け入れられた瞬間だったように見えました。

しかし思うに、恨みは氷みたいなもので、急には解けないように思います。

つまり彼の持っていた声という楽器が多くの人を感動させ、彼自身の波乱万丈の生き方も人々に勇気を与え、受け入れられて徐々に溶かしていったように思います。

人に受けいれられて自分を受け入れられるのではないか、そんなことを思うのです。

カフェ蔵[心]

小松駅前のれんが通りをしばらく行くと、「カフェ蔵こころ」というお店があります。

そこのマスターOさんは、生まれつき股関節脱臼の身体です。しかしそれが縁で親鸞に出遇った方なのですが、たまたまコーヒーを飲みに行ったことから友達になり、今ではお店で『歎異抄』を読むほど、深いつながりをいただいています。

私はOさんとの出遇いを通して、人が救われるということはどういうことかを感じさせてもらっています。例えばOさんは

「この身体のおかげで自分が自分になれた」

とよく言われるのですが、その理由を尋ねると

「もし、悩んだり苦しんだりしなかったら、きっと今のような考えにならなかっと思う。この足があったから人よりも生きる意味を問われ、道を求められたのだ。大きなはたらきの中で私は私になれたのだ」

と言い切ります。また、

「いまの時代は豊か過ぎて不幸かもしれないと思うときがある。せっかく虚しいと感じたり、自分の生き方はこれでいいのだろうかと思っても、ごまかす物があまりにも多い。テレビのスイッチひとつでいやなことを忘れ、道を求めるということになかなかならない。その点僕は歩くたびに激痛が走ったりして、その存在そのものを問わなければならなかった。人よりも生きる意味を考えなければならなかった。そのおかげで『歎異抄』に出遇ったと思っている」

「何にもつらいことに遇ってないってことはかわいそうだ。気がつく機会がないってことだから」

など生きざまを通して語られる言葉は胸に響いてきます。

私はOさんを通して、人間にとって悩むということはいかに大切かを教えられます。つまり、悩むからこそ南無阿弥陀仏に出遇えるのであり、悩むからこそ深く豊かに生きられると思うのです。

でもよくよく考えてみれば、悩みや不安だけが「お前の生き方はこれでよいのか」と問い返すいのちのはたらきではないでしょうか。もし不安も悩みもないならば、人間は傲慢で思い上がった生き方になるに違いありません。悩みあればこそ生きる意味を尋ねることが始まるのでしょう。その意味で「悩みは救いの種」だと思うのです。

しかし昨今の状況を垣間見ると、癒し、プラス思考など安易に解消しようとする傾向が見られ、宗教においても問題の解決を死後や霊魂など外に求めるものもあります。また、教えによっては人の弱みに付け込んで、救うどころか自立を奪うようなカルト的宗教も見受けられます。

できれば会いたくない悩みや苦しみですが、本当に避けるような在り方では救われません。Oさんのような深くて自由な生き方を賜ることこそ真実の救いだと思っています。

私はそんなOさんに遇いに今日も「こころ」に通っています

能邨英士

つれあいと結婚したことで、この人を父と呼ぶようになってもう十数年経つのですが、

一緒に生活をしていて、いつも感心させられています。

特に「決断」には驚かされるのですが、例えば、決断に窮することがあったとします。

すると、私の場合何に悩んでるかといえば、立場が悪くなるとかならないとか、面子が立つとか立たないとか、

誰かに批判されるとかされないとか、結局のところ、自己保身なんですよね。

ところが、この人の場合「正しいことやしなければならないこと」をすべきだと思っているし実際されるのです。

そのためには人が一番いやがるようなこと(泥をかぶること)をされるのです。

それが日常の些細なところに見られるからすごい。

例えば、人は物事が立ち行かなくなったとき、思う結果が出なかったとき、

人のせいにしてしまうことが多々あると思うのですが、この人の場合は責任を論ずることよりも、

立ち行かなくなった事実から、道を開くことをいつも考えます。

それは最悪の結果としてもそれを背負うことで道を開くという意味なのですが・・・・

そういった父ですけれど、普段はというと、お酒が好きだし、煩悩一杯の人なのです。

特に孫を抱くときの顔は父と関わってこられた人に見せてあげたいといつも思います

だから、だからすごいのです。

私と同じ人間だからこそ決断するときの「勇気」とその「根拠(拠り所)」に思いをはせるのです。

きっと大変な思いをされているにちがいありません。

私自身、それなりに仏法を聞いてきましたが、生活の中で実践するということはどういうことか、

を父から教えていただいたように思っています。

所詮は「どこに立って選び・決断するのか」ということに尽きるのではないでしょうか。

私自身、白道の幅が四五寸であることの重さを実感しているこの頃です。


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