念仏した人がすごかった

最近自分の中で、何故こうやって曲がりなりにも仏教を勉強しているのかなと思うと、

「念仏した人がすごかった」

からではないかと感じるのです。

ややもすると浄土真宗の持っている普遍性・真実性のみに心を奪われてしまう部分もありますが、本質はそうではないのでしょう。

親鸞は「教巻」に浄土真宗の教えを述べていますが、イメージとしては48願などの理屈や教義が記述されているように思われる方も多いと思います。

そうではなく、お釈迦さまと弟子の阿難との出遇いが記述されています。つまり理屈ではなく、出遇いの事実をもって教えとしているのです。

思えば人は正しいからとか道理が通っているから信じるのでありません。

「教巻」にあるように感動したり、ビックリしたり、自分の思いが破れるような出遇いに触れて、惹かれ求めるのです。

その全体を教えとして述べられているのです。

自分も思えば過去も含めて、すごい人だなぁとかこんな生き方したいなぁ、と思わせられた人に出遇ってきましたが、そんな人がたまたま念仏していたのです。

念仏の道理だけでここまで歩ませられてきたのではありません。

その人たちに魅力を感じ、ここまで歩ませられたのです。


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