三定死(さんじょうし)は事実でない

「二河譬(にがひ)」の中に「三定死(さんじょうし)」が出てくるのですが、ひとつの行き詰まりを表している喩えがあります。

もともとこの話は旅人が西に向かって歩く所から始まるのですが、西に向かうというのは「自分自身と真向かいになる」「自分の生き方を探し始める」ことを意味します。

そして歩み始めると「火の河・水の河(煩悩)」と旅人を殺しに来る「群賊悪獣」と「白道(びゃくどう)」が出てきます。

そしてまたしばらく歩むと旅人は追い詰められて「三定死」という切羽詰った状況になるわけです。つまり元に引き返しても悪獣に殺されるし、この場に留まってもそのうち悪獣にやられるし、かといって幅四五寸の白道を渡ろうとすれば河に落ちてしまうというのです。

結果的に旅人は意を決して白道を歩むわけですが、よくよく考えてみればこの「三定死」は事実ではないということを感ずるのです。

一般的に「八方塞がり」といいますが、仏法に照らせば事実は塞がってはいないと教えられるのです。あれも立てようこれも立てようと自分を立てるから行き詰るのです。つまり自分の思いに縛られているだけのことであって、必ずやそこに道があるのです。

実はこの作者は二河(火の河水の河)と群賊悪獣を自分であると解説しています。つまり自身の見方受け止めから方から経験、実績などが邪魔をしてこの話の場合求道心を妨げるのです。

しかしその中で勇気を持って一歩を踏み出した時、一人ではなく「発遣と召喚」というずっと念じられていた自分であることをこの物語は教えてくれています。


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