求道者たれともに求道者たらん

「求道者たれ共に求道者たらん」というのは真宗大谷派(京都東本願寺)の教師資格を取得する時に、修練という研修を受けなければなりませんが、その道場のテーマになります。

「求道者たれ」というのは、道を求めてきた先達の願いであり、道場からの呼びかけを表すのですが、当初は何を言っているのか分からなかったです。

仏教の教えを聞いてそして少し生きることにまじめになったものが道を求め始める(求道)と思っていましたが、そうではないようです。

本人も気が付かないところで実は道を探していて、それが何かわからず目先の物に執着してしまっていた私たちを言い当てた言葉なのです。

『往生要集』のたとえ話に「幼い頃捨て子で本人は意識はないけれどその傷が深く染みわたっていて、その怨のためにいつか貴重な人生をご馳走と侍女数百人はべらせて幻の楽しみで一生過ごす」というたとえ話がありましたが、きっと本人は生き方を深く探しているのでしょうが、その思いに気が付かずに目先の物を追い求めて一生を費やしてしまうというのです。その全体を「幻」だと仏教は指摘するのです。
その意味で「求道者たれ」というのは「目覚めなさい」「本来の自分に帰りなさい」という促しでもあるのです。


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