浄土・極楽

先代の住職の話です

ある真夜中に一本の電話がかかってきました。電話の相手は以前勝光寺の近くに住んでいて、よくお寺で遊んだ幼馴染からでした

何十年ぶりに聞く友達の声に驚き、話しているときに向こうからなぜ電話をしてきたのかということを話し始められたそうです

その幼馴染の人は弁護士で、苦労に苦労重ねた末に今の地位を築き、また子どもも自立し、さあこれからというときに奥さんを癌で亡くされたのです。以来その現実が引き受けられずに、自分の心を持て余すようになってしまいました。その時に、ふと昔お寺で遊んだことを思い出し、思わず電話されたそうです。
それがご縁で前住職との交流が再開したのですが、その方が「自分は苦労して頑張って生きてきたけれど、本当に何をしたかったのか?と妻を亡くして初めて思った」と告白されたそうです

人はそれぞれの歩みの中で、自分は本当に何を求めていたのか、何を願っていたのかと、ふと立ち止まる時がありますが、幼馴染の方の場合奥さんの死がそういう思いにさせたのではないでしょうか。

実は仏教において「浄土」とか「極楽」とか説かれていますが、ある意味人が本当に求めているものを言い当てた言葉だと思うのです
現在は浄土とか極楽というと手垢がついてしまって本来とはかけ離れていますが、本来意識するしないに関わらず、人が本当に願っている世界を「浄土・極楽」と表現されたのではないでしょうか
しかも浄土を求めていた自分に気がついていく過程を『観経』の韋提希(いだいけ)として説かれているのはそのことを表しているように思います。

まぁとにかく自分が本当に何を求めていたのかを知る(自分を知る)ということは確かな歩みの一歩になることだけは間違いありません。


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