求道心は色んな形を持って現れる

安田先生の学舎が自宅で行われているときに、近くで若者がバイクで騒音を立て走り回ってたそうです。

すると先生は「求道心というと君らのように真面目に座って勉強をしている姿を想起させるが、実は騒音を立てている若者も君らと同じように求めているだよ」ということを仰られたそうです。

求道心とは文字通り「道を求める心」ですが「本当の自由を求める心、真実を求める心」を意味になります。

確かにそう指摘されると大なり小なりみんな何かを探しているように思います。

例えばお金ほしいということも、なぜお金がほしいのか?と突き詰めていくと、求めているものは「充足」であったり、「幸せ」であったり、何かを探している現われでないでしょうか。

『往生要集』に「幼い頃捨て子で本人は意識はないけれどその傷が深く染みわたっていて、その〈怨み〉のためにいつか貴重な人生をご馳走と侍女数百人はべらせて幻の楽しみで一生過ごす」というたとえ話がありましたが、一見人間の欲望追求にみえても、本人も気づかないところで、生きる意味を探しているのかもしれません。

そう思うと人間の危険な心にもいい心にも求道心は現れているのでしょう。

ただその本心にみんな気付かないだけで、気付くと自ずから人は変わっていくのではないでしょうか。


calendar

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< March 2017 >>

selected entries

categories

archives

links

profile

書いた記事数:92 最後に更新した日:2012/08/16

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM