「いのち」を看取って

◇死にざまを見せたい◇
身近な人を亡くすということは大変なことですが、同時に大事な時でもあります。そのことを私なりに実感したのが、当寺前住職、能邨(のむら)英士(えいし)(元宗務総長・二〇〇八年命終)を自坊で看取ったご縁をいただいてからです。前住職がガンだと分かったのが、亡くなる一ヶ月前でした。それまで普通に生活をされていたのですが、熱が出て息苦しいということで、かかりつけの病院に入院をしたのです。その時に肺を支えている周りの水からガンが見つかったということでした。病名は腺がんで、発病したら数ヶ月で体中に転移してしまう悪性のものでした。
本人にそのこと告知し、数日経った時でしょうか、「私はご本山のことばかりで、娘たちに何ひとつしてあげられなかった。せめて死にざまを娘たちに見せたい」と言われ、その言葉に驚いたことです。「死にざまを見せたい」ということは、何を見せたかったのか。少なくとも、人間にとって何が本当に大事なのかを伝えようとしたのではないかと思います。
『大無量寿経』に「見老病死 悟世非常(老病死を見て非常を悟る)」と説かれていますが、この場合に限定すれば、死にたくないけれど死んでいかなくてはならない「絶対現実」を見ることにおいて、始まるものがあることを示しています。釈尊の場合「老病死」を見ることを通して「悟世非常」、つまり自分の価値観が無力であることを悟られたのです。そして釈尊は、人として最も大切な真実を求め出家されたのですが、前住職も、娘たちに自分の死を通して、真実を尋ねてもらいたいと願われたように思うのです。

◇厳しいご催促◇
前住職は親しい仲間に「厳しいご催促や」と言われたようです。「ご催促」とは加賀地方の言葉で、年配の方が使われるのですが、阿弥陀さんからの促し(うなが)、呼びかけを意味します。つまり、身の上に起こった現実に対して「いま目覚めるときですよ」という意味で使われます。「厳しい」はいうまでもなく、自分の思いをこえて身に起こった事実を指すわけですが、前住職は生前「亡くなるならばガンで終えたい」と言われていました。それは身の回りを整理する時間もあり、周りの人にもお礼を言えるということだと思うのです。実際思い通りにガンにはなりましたが、ガンと分かって坂を転げ落ちるように体力がなくなり、何ひとつ整理することもできずに、そのまま命を終えられました。しなければならない仕事もたくさんあり、死ぬわけにはいかない人だったのですが、命を終えて逝かれました。まさに「死」は人間が決めることができない、死ぬ時すら自分で決められない存在であることを身をもって証明されたのです。
『白骨の御文』に「それ人間の浮生なる相をつらつら感ずるに」と言われているように、私たちは根無し草であり、縁によって振りまわされる存在です。自分の予定や都合に関係なく、待ったなしで現実はやってくることを「厳しいご催促」の言葉に見せられた思いです。

◇仏法は間違いなかった◇

前住職から「勇樹さん、若いころから聞いてきた仏法は間違いなかった。この身になってつくづくそう思う」と言われました。今でもその場面を思い出すのですが、とても感動したことを覚えています。物事がうまくいって間違いなかったと言っているのでありません。すべてを奪われて間違いなかったと言っているのです。ある日突然ガンと宣告され、余命一ヶ月。何ひとつすることままならない身体になって出てきた言葉は、愚痴や恨みではなく、仏法讃嘆でした。「仏法は間違いなかったぞ」と私に伝えてくださった言葉は、本当に力強く、これから私がどんな目にあっても、どん底に落ちても、ともしびとなるような言葉でした。なぜなら、たとえ道が見えなくても「間違いなかった」という人を知っているわけですから。そう思うと親鸞聖人の「念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう」「地獄は一定すみかぞかし」という言葉も、そういう言葉だったのかと前住職を通して感じることです。
 自坊に帰ってから数日ではありましたが、深く尊い時間を過ごしました。在宅とはいいもので、食事の前とかちょっとした時に顔を見に行くことができました。私の子どもたちも、それぞれおじいちゃんの所に行き、何かを話してきたようです。きっと私と同じようにいい時間を過ごしたのではないかと思っています。
最後にはご門徒や親戚、そして私たち家族にお礼とお別れを言って、次の日息を引き取られました。実に見事としか言いようのない最期でありました。

道を外れるということ

先日友人の仏前結婚式がありました。

その友人というのは一流大学を出て、一流企業に勤めていたのですが、15年たって会社に行けなくなり、とうとう辞めてしまいました。

その後田舎に帰り、しばらく静養していました。

縁あって数年前に喫茶店の「こころの会」に出席をするようになり、私たちと出遇い、友達になりました。

「こころの会」というのは20代30代を中心の会なのですが、仕事をしているとなかなか本音を語ることができない、日々の生活で人と合わすことが多くなっているそのような現状の中で、少しでも自分を語れるようなことを目指した会なのです。

そのうちに「歎異抄」を読んだり現在では「観経」を読み、自分の言葉で語ることをしています。

その友人ですが、こころの会に出席するようになって2年ほどたってからでしょうか、フリースクールの事務局をするようになりました。

そして現在は山中で自然農法を目指し、現在その準備をしています。

そして先日の結婚式です。

仕事時代の人や山登りの先輩やフリースクールの仲間そして私たち心の会のメンバーです。

私は司婚者をさせていただいたのですが、手作りでしかも厳かで楽しい結婚式と披露宴でした。

そのメンバーを見ていると挫折を味わった方も多く、それぞれの信念で生きている素晴らしい人たちなのです。

挨拶もパフォーマンスもホンマによかった(^^)v

みんなが集まり楽しく過ごしているのをみていると、豊かだなぁと思うのです。

もし友人が会社を辞めず黙々と働いていたら、私を含めてきっと遇えなかったと思うのです。

ところがいいか悪いか分かりませんが、少なくとも辞めたことがきっかけで色んな人たちに遇うことになったのです。

道というのは一本でなく、たとえ道を外したとしてもそこから始まることが沢山あることを実感した一日でした。

未離欲(みりよく)だからこそ

「阿難」という人はお釈迦さまの十大弟子の一人です。

仏伝ではだいたい25年ぐらいお側におられ、一番教えを聞いた人といわれています。

ところが阿難は長く近くにいたにもかかわらず、なかなか悟れなかった人だといわれています。

仲間からは「未離欲(みりよく)」の阿難と言われていました。

仏伝によれば、お釈迦さまの乳母マハーパジャーパティの出家を懇願したり、お釈迦さまの最期(80才)を向かえる時に「依り所が失ってしまう」と木陰で泣いたり・・・・

しかし『大無量寿経』という経典で言えば、その阿難が大事な役割を果たしました。つまり「阿難の問い」によって法が説かれたのです。その「問い」がなければお経の存在はないほど大事な問いなのです。

お釈迦さまはその部分を「善哉、阿難。問いたてまつるところ甚(はなは)だ快(こころよ)し」と褒めたたえました。

考えてみれば問いもないところに真実を説いたとしても、それは種のないところに水を与えるようなもので、意味をなさないように思うのです。

言い換えれば「問い」が本当のことを語れる状況を作ったといえるでしょう。

すると問いは何故生まれたのかと思うとき、阿難の「未離欲」だからと思わずにはおれません。

「未離欲」ということは文字通り「欲が離れない」「受け止めらない」など悩みが尽きないというですが、そういうことが問わせたのではないでしょうか。

そう思うと阿難は決して褒められようとしたわけではなく、自分に正直に感じたままを尋ねたんだろうと思うのです。

そういう意味では何事も分かったこととせず、阿難のような自分に正直な問いを出せる自分でありたいと思うこのごろです。

出遇い

暁烏 敏(あけがらすはや・石川県白山市)という方をご存知でしょうか?

宗門内での評価はいろいろあるようですが、地元では有名な方になります。

特に白山市では「暁烏敏賞」が創設されていて、白山市HPによると「真宗大谷派の僧として近代的な仏教思想を広め、日本の思想界に大きな足跡をのこした人物です。 白山市では敏の優れた功績をたたえ、伝統文化の継承発展と次代を担う青少年の健全育成を願って暁烏敏賞を制定し、毎年、国内外より懸賞論文を募集」しているほど有名な方です。

で、その暁烏氏の戦時中の話なのですが、暁烏氏はよく憲兵の監視の下に講話をされていたということを聞きました。言うまでもなく当時は思想統制の厳しい時代状況で、有名だった暁烏氏の言論もまた注目され、当然の如く監視される対象だったのでしょう。

ところがその監視をしていた憲兵が、その暁烏氏の講話に感動し、結果的に戦争が終わると同時に退職して、熱心な真宗門徒になったというのです。

実はその人は当勝光寺の総代までしてくださった方で、名実共に立派な方だと聞いています。

言論が制約されている中で、人の生き方を変えるような出遇いが成立していたというのは、私にとっては驚きのほかありません。

ところがまだその後があって、今から6年程前でしょうか、その孫娘といっしょに『歎異抄』を喫茶店で読んでいるんですよね。嫁いでいて知らない中で出遇い、現在その場所に参加してくれているのですが、少なくともお祖父さんの感動的出遇いがなければ、いっしょに話し合うということもなかったと思うのです。つまりそれだけ憲兵の人と暁烏氏の出遇いが深かったということを思うのです。
この話もまた歎異抄の会で彼女から聞いたもので、出遇いが孫の代まで影響しているというのはすごいと思いませんか?

自分を越え、時代を超えるような、そんな感動的な出遇いをお互いしてみたいものですね。

今から ここから

今年の3月に読売新聞でひとりの教師が紹介されていました。

その先生は宮本先生と言って中学時代オール1の成績で、まったく勉強ができなかったという異色の先生なのです。

その先生が20才を超えてたまたま見た「アインシュタインのビデオ」に深く感動し、もっと知りたい、もっと学びたいと強く感じ、定時制高校に入学するために小学校の勉強(九九)から始めたそうです。

結果的に27才で名古屋大学に入学し、マスター・ドクターと歩み、そのまま研究者の道をと思ったそうですが、落ちこぼれだった自分だからできることがあるのではないか、と昨年教師の道を歩まれたそうです。

写真では生徒と楽しそうに話をされる場面が写っていたのですが、その記事を読んで僕自身とても感動しました。

どちらかというと自分自身は結果だけを見て、できない理由を百以上並べ立て、「あのせいでできなかった」「こんな状況だからできなかった」と言い訳ばかりしていたと思うのです。

そんなことをどれだけ言っても何にも変わりません。

どんな自分でも、どんな状況でも、今からここから、一歩踏み出すことが大事ではないかと思うのです。

そんなことを改めて思わせられて記事でした。

摂取不捨の真言

北海道にある北星余市高校というのは全国でも珍しく、高校中退者や不登校者を受け入れている学校です。

近年その卒業生が先生として赴任してきたということで、マスコミに取り上げられ、昨年はその先生の格闘している姿をドラマ化し反響を呼びました。私もその先生の本やドラマを見ていろいろ感じたことです

私自身その先生に限らず、余市高校の先生方が生徒たちを決して見捨てない、という姿勢に深く感銘したのですが、例えば「タバコ禁止」ということでも、普通はある程度のところであきらめてしまうことがあると思いますが、生徒から逃げずに分かってもらえるまで伝えようとします。

ドラマでもある親に捨てられた子どもが余市高校を抜け出し再度家に帰ろうとして東京まで行くのですが、しかし事情があり母親から拒否されるわけです。捨てられたという思いをもったその生徒はやけになり街をフラフラ徘徊します。

しかしお金がなくなり残り少ないお金を探していると、余市から何も言わず東京までついてきた先生のメモを見つけます。
そのメモには「別れたところで待っている」と書かれてありました。それを見てそんなバカなと思いつつもその場所まで行ってみると先生がいるわけです。
「どうして・・・もし僕がメモを見なかったらどうするんだ」と問うと
「俺は待ちたかったから待ってたんだ」と答えます。

実はその先生も同じように見捨てないで声をかけ続けてくれた先生がいたのです。そしてその話をするわけです。
「オレもそうしてもらったんだ・・・」
するとその生徒は初めて自分のことを語り始めます。
今まで何を感じてきたのかを語るのです。
二人はお互い思いを語り続け、結果的二人は余市へ戻るというところで終わるのですが、まぁドラマとはいえ近いモデルケースはあっただろうと想像しています。

で、思うことは捨てないということではじめて人は立ち上がれるのではないかと思うのです。

教育の問題だけでなく、病気やらいろんな出来事で打ちひしがれることがあります。そこで本当に立ち直れるのは「捨てない」という世界に出合うことではないかということを思うのです。

嫌いな自分に深められる

アルコール依存症だった人のお話を聞かせていただいたことがありました。

その人は小さい頃から涙もろく、ちょっとしたことで涙が出てしまうのだそうです。

それを人からからかわれたり、親からも「男は泣くものではない」と言われ育ってきました。

しかしそれでもちょっとしたことで人前で涙を出してしまう気の小さい自分が嫌でいやでたまらなかったそうです。

その自分を唯一忘れさせるもの・・・・それがお酒だったのでしょう、浴びるように呑まれたそうです。

お酒を呑むだけならまだいいのですが、強い自分でありたいという願望から人にわけもなく絡んだり、よくケンカをし・・・・
当然人格が変わるのですから、そのうちに誰も相手にしなくなりました。

しかし5年前にこれではいけないと本人が気付き、お寺に通い始め、そこでアルコール依存症の会を紹介してもらったり、聞法会に出席をしはじめました。
その流れの中で私もお会いしたことです

その人は自分を変えたい、強い自分になりたいと真剣に言われていました。

私自身、その人の真摯な気持ちに深く感銘をしたのですが、きっと今のように自分と真向かいになり続ければ、いろんな人や言葉に出会えるだろうなぁと感じたことです

現に5年間も自宅から車で30分ほどの場所に通って聞法し、最近ではあちこち聞法して歩いているのだそうですが、その原動力は「自分を変えたい」「生まれてきて良かったと言いたい」その思いに他なりません。

果たして嫌いな自分を変えられるかどうかは分かりませんが、少なくとも嫌いな自分に自分が深められることがあるように思うのです。

つまり受け止められない自分があるからこそ、人はその自分に育てられのではないでしょうか。

その全体の歩みに気づく時、ありのままの(嫌いなままの)自分をありのままに生きるということが始まるように思います。

忘れられない名刺

今から10年ほど前にある年配の方から名刺を頂いたことがありました

その名刺は3つほど肩書きがあったのですが、すべて「元○○○・元○○○」と書いてあったのです。
もらったときは正直なところ・・・その人が哀れに思えてなりませんでした。

しかし現在はその気持ちがなんとなく分かるのですが(笑)
というのは、その人は自分がここにいるといいたかったのではないかと思うのです。自分であることの存在証明をしたかったのではないかと思うのです。

しかし問題は「ありのままの自分」ではなかったということではないでしょうか。

それがなかなかできずに「元○○○・元○○○」という名刺になったのでしょう。現在の自分ではなく過去の栄光の自分であったというところになんともいえない思いがよぎります。

実はこれは名刺をくださった人だけでありません。私たちもまた同じ問題を抱えています。

聖徳太子の17条憲法に

「我れ必ずしも聖に非ず 彼れ必ずしも愚に非ず、共に是れ凡夫(ただびと)のみ」という言葉があります

僕はこの凡夫を「ただびと」と読んでいることが気に入っているのですが、人はありのままの「ただびと」になれないのです。

ただびとになれないからいろんなことに苦しんだり悩んだりしているのではないでしょうか。

しかし仏教はどこまでも「ただびとに帰れ」と呼びかけているのです。

人を殺すということ

今月末地元の「加賀アビオシティーホール」にてベトナム戦争の帰還兵アレン・ネルソンさんという人の講演があり、友人から「聞きに行かないか」と誘われました。その人は戦争の最前線を経験し、語ることを通して戦争の悲惨さを訴えておられる方のようです。

新聞に紹介されている記事を見て私は「この人本当に人を殺してきたのだなぁ」と感じました。

異常な状況の中でネルソンさんは「人を殺すのはとても簡単だ」と言うのです。そして「地獄はその後だ」と・・・

つまり人を殺すと吐き気をもよおしたり、何らかの異常が出てくるのだそうです。そしてそれを正当化するためにまた人を殺すのだそうです。上司はそれで一人前だと褒めてくれるのだそうですが・・・・

しかし現実は毎晩戦場の夢を見てうなされ苦しむのだそうです。ネルソンさんの場合、立ち直るまでに18年の年月が必要だったそうです。

私自身日本の戦争経験者の方にも話を聞いたことがありますが、本当に人を殺してきた人は多くを決して語りません。
「弾の下をくぐったことがある」と自慢気に言う人は案外経験をしていないということを感じたこともありました。

とにかくこの記事を読んで、戦争は被害者だけでなく加害者も地獄であることを感じました。
そう思うと今回のイラク戦争は悲惨だなぁと違った視点で感じます

お近くの方もしよかったらいっしょに聞きにいきましょう。

絶対現実

子どもさんを亡くされたお母さんと話をしたことがありました。

その方は妊娠中毒症になり8ヶ月で子どもを出産、まもなく亡くなられました。

そのお母さん言わく、最初現実がまったく見れなくて、目が覚めると

「これはウソではないか、何かの間違いでないか」とお腹を触られたそうです。

しかし現実は変わらない・・・でも夢ではないか・・・そういうことを何度か繰り返されたそうです

いろんな人の励ましを通して現在は少しづつ現実を受容しているのですが、そのお母さんが

「ここから(子どもさんを亡くした事実から)しか始まらないのですね」

と漏らされたことがとても深い言葉として心に響いてきたことです。

一般的に現実が厳しければ厳しいほど、人はその現実から何とか逃げようとするものではないでしょうか。

場合によっては趣味・癒し・宗教など目移りするものに没頭してしまうこともあるでしょう

僕自身も自分の生きている現実が引き受けられずに、自分を演じたり、責任転嫁したり・・・いろいろジタバタしてきたように思います。

しかしどんなに逃げていても・・・私の一歩は厳粛な事実に立つことしか始まらないと思うのです。現実を直視することからしか始まらないと思うのです。


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